飴玉の唄

その日の気分で、ころころ変わるブログ

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きよしこ(続き)

きよしこ。再度アップ。

きよしこ (新潮文庫)きよしこ (新潮文庫)
(2005/06)
重松 清

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吃音に苦しむ少年が主人公の切ないお話・・。
この本を読んで、思いだした小学校の思い出。

あれは4年~6年までいた学校でのこと。
あたしはたぶん5年か6年で、だからだいぶ学校にも慣れていた。
あたしの引越しはいつも7月の初めで、だからみんな友達ができてる
中に入れられて、初日はいつも泣いていた。。
初日の不安は、全部の引越し覚えている。
この話はまた今度。
当時、クラスに言葉を発することができない男の子がいた。
あたしたちは理由を知らなかった。
でも、この本を読んだとき、「彼はもしかして吃音に悩んでいたのかも」
と思った。
彼に申し訳ないことをしたかもしれない・・とまた思った。

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いい本

20090614113108
寝てなきゃいけないけど、昨日よりだいぶ楽になり、暇だから図書館で借りた本読んだ

「カカシの夏休み」
重松清

泣かされた

40歳前後には、しみる
男性目線ではあるけど
共感してしまう
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今、読んでる本

私はいつも平行読書をする・・・とゆうかそうなってしまっている・・。
何故か・・?借りている本が多い・・そして読むのが遅い。
今平行している本は、

①「陰日向に咲く」劇団ひとり著

②「人生の価値」飯田史彦著(教会の人が貸してくれた)

③「板谷バカ三代」ゲッツ板谷著(ウツともYちゃんが貸してくれた)

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重松清「エイジ」を読んだ(ちょっと不安神経症の人怖いかも注意)

風邪でぐずる中、重松清の「エイジ」読み終わる。

2001年の作品だから8年前か…

内容が神戸の中学生連続通り魔事件に近くて、
すごく考えさせられた。
あの事件はうちの近くだったし、今でも忘れられない…

本の内容はある日突然自分の前の席にいた子が、通り魔犯で逮捕されて、
主人公(中学生)や同級生が、今まで考えたことがなかったことを考え、
感じ、変わっていく…

暗いテーマだけど、重苦しくはならなかった。

かなりリアルな中学生たちだった。
でもこれも、8年前の中学生。

今はまた違う。でも根っこみたいな部分はあまりかわらないんじゃないかなと
思うのは、見当はずれかな。


とりあえず次は劇団ひとりの「陰日向に咲く」に取りかかった。

超読みやすい。
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まんが

今日はかなり、限界を超えてしまって
がんばりすぎた・・・。正直しんどい・・・。
でも、何とかパソに向かえる。

おとついから、急に昔のまんがが読みたくなって
読み出したら、おもしろくてとまらない。

私が中学生の頃のだから、30年近く前か・・・。
かなりマイナーだけど、文庫化もされたから
マニアックなファンが多かったのかな?

三原 順(三原順子じゃないよ念のため)とゆう
女性漫画家の「はみだしっ子」
はみだしっ子 (第1巻) (白泉社文庫)はみだしっ子 (第1巻) (白泉社文庫)
(1996/03)
三原 順

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おー、アマゾン検索したら、出てきた。しかも結構レビューがあって、
つい読み込んでしまった。共感者がいたことが嬉しくて、ちょっと
一件だけレビューを載せさせてください、アマゾンさんと書いたかたお願いします。

30年前に購入されたとのこと(同年代か?)
「初めて呼んだ時、それまでの12年の価値観とそれ以降の人生観をひっくり返されました。男子中学生が花ゆめを買うのはきつかったー。古本屋が開けるだけの小説とコミックスの中で、今でも一番大事な本です。連れていって、とつぶやくだけで、置いていくなというアンジーの想いが今でも胸をつきます。発達心理学の教材になんねーかなとゼミのせんせに言ったら、絵柄だけで拒否されました。いーと思うんだけどなー。 」

う~、わかるわかる。中学生の頃にはたまらない感があるんですよ。
難しすぎてわからない部分もたっくさんあるんだけど、
世界観が大好きで。アンジーが好きな人結構いるんや。とレビュー
読んで思った。私もアンジー大好きなんやけど。

簡単なあらすじは、四人の少年が主役なんだけど、まず年の順から
「グレアム」彼は、お父さんが厳格なピアニストで、お母さんが家出しちゃって
事故で片目が見えなくなって・・・まあとにかくお父さんから逃げたくて
家出。「アンジー」彼は、有名な女優の私生児で、結局ママはスターになって
アンジーは捨てられ。。そして彼は片足が不自由。
三番目「サーニン」彼も、家庭が複雑でお母さんが心の病から亡くなって
しゃべれなくなって地下牢に閉じ込められてて・・・

なんかここまで書いて、なんて暗い設定なんだ・・と
改めて感心してしまう。

四番目「マックス」彼も親の愛を受けることなく育って・・・・
その四人がであって、放浪生活を子供だけでする。

でも、みんな小さい頃から傷ついてるから、弱い者に優しいし
ほんとに4人のすごい絆に感動してしまう。

また、この三原順さんはすごいせりふの量が多くて、深い。
今回、読み直して、昔理解できなかったことが理解できたり
発見したりするところがたくさんあった。
本当に人間の心の深いところに手を出している。
私がこんなにこの作品が好きなのは、多分自分の
価値観と似ているからだ。

絵がかなり濃いので、好き嫌いがあると思うけど
ぜひ一度機会があれば、こころに関心が深い人は
読むこと勧めます。

あーやっぱいいなあ・・・・はみだしっ子。
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続・目には見えないけれど大切なもの

続きはあさってになってしまいました。

一昨日の続編・・

「蔵しているにもかかわらず蔵していないかのように振舞うところに
 無理が生じ、ボロを出すまいと気をつかうことに疲れ、正体をあば
 きそうになる相手や話題をさけてゆかねばならない不自由さを味
 わい、見破られる危険を感じては攻撃的になることさえある。
 開かれた自分、自由でおおらかな自分であるためには、まずこの
 ような「見せかけの自分」と「ありのままの自分」の間にあるギャッ
 プ
を検討し、とりのぞいていかなければならない。
 ところで、この、ありのままの自分を見つめることをいちばん恐れているのは、実は
 自分自身だということに気づく必要がある。見てしまったら愛せなくなってしまいそうで
 恐ろしいのである。私たちはまず、自分を愛することを習わないといけないのだ。
 ・・・キリストは「あなたたちは、自分を愛するように他人を愛しなさい」と言われた。
  自分を愛するということは利己的に生きるということではない。
 むしろ反対のことである。
利己的に振舞わなければならない理由は、自分の貧しい姿、
 みじめな立場を見つめることができず、そんな自分を愛することができないがゆえに、
 たえず、自分を他人よりも優位に置き、多くを持つことによって安定感を保っていようとして
 とる態度なのである。
  
  ところが、自分をほんとうに愛する人は、みじめな自分、傷いっぱいの自分をも
 いたわることのできる人である。
 どんな自分にも愛想をつかさないで、この世にたった一人しかいない自分、
 しかも一回限りの人生を生きている自分を大切にすることのできる人である。
  
 中略 

 物質的なぜいたくに慣れた私たちは、人間関係においてもわがままになってしまった。
 相手をありのままの姿で受け入れようとせず、・・・・「こういう人ならば」「こうである限り」
 といった条件つきで、人を受け入れ、愛していることがあまりにも多いのではなかろうか。

 一方、愛され受け入れられるために、涙ぐましいほどの努力をして、相手の条件どおりの
 自分であろうと背のびし、よそ行きの自分をとりつくろうのだ。
 とりつくろえる間はまだいい。それにも疲れてしまった時、内も外もボロボロの、無価値としか
 思えない自分がそこにある。そういう人に、今一度生きる力を与えることこそが真の愛なのだろう。

 
続く・・・

 
 
 

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目に見えないけれど大切なもの

目に見えないけれど大切なもの―あなたの心に安らぎと強さを (PHP文庫)目に見えないけれど大切なもの―あなたの心に安らぎと強さを (PHP文庫)
(2003/11)
渡辺 和子

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心に穴があきそうなとき、読んでください。(オビより)


以前も紹介したけど、ほんとにいいことがたくさん書いてあります。

少しずつ紹介していきたいです。

  5章「大切なものは目に見えない」ータイトル「名前を呼ぶ教育」一部抜粋
 
「・・・人間一人ひとりは心底から自分自身になりきりたいと願っている。
背伸びをしつづけていることにくたびれ、よそ行きの自分の姿に
やりきれない思いをしている。

にもかかわらず、当の自分の姿の周囲に分厚い防禦壁(ぼうぎょへき)をはりめぐらし
たえず身構えているのはなぜだろうか。
「見破られはすまいか」と脅威を感じながら、いつも気を
四方に配っていなければならないのはどうしてであろうか。

それはやはり一方では自分が内部に「人に見せたくないもの
見せられないもの」を蔵しているからであり、他方、

それを見られたが最後、受け入れてもらえなくなるという
意識を持っているからであろう。・・・・・」


こんな思いを抱いてる人、少なくない気がします。
続きは明日・・・。


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